母子家庭だったうちは、貧乏極まりなかった
公開日:
:
最終更新日:2014/07/22
泣ける話
子供の頃、
母子家庭だったうちは、貧乏極まりなかった。
高校になってから、母親が毎日お弁当を作ってくれたんだけど、
友達のほとんどは学食で食べていて、弁当持参っていうのが、なんか貧乏臭くて、カッコ悪くて、とても嫌だった。
ある日、いつものように弁当を作ってくれた母親に
「お前の弁当なんていらねーんだよ!」
と台所に捨ててしまった。
キョトンとした後に悲しそうなあの表情、今でも忘れられない。
その後怒るどころか、
「ごめんね。料理下手だから気に食わないんだね」って泣いてた。
結局その後お弁当は作らずに、毎日400円貰ってた。
母親の稼ぎは相当低かったのに、やりくりして出してたんだろうな。
何度も謝ろうとしたんだけど、言い出せなかった。
そんな俺も社会人になったんだが・・・
・・・、最近母親がガンで逝ってしまった。
家を片付けてると、学生の時に作ってくれていた弁当箱を発見した。
残してくれてたんだと、しみじみと思った。
結局、最後まで弁当を捨ててしまった事は、話題にすらせず、謝りもしないままだったことを思い返した。
朝早起きして作ってくれてたお弁当。
愛情がこもったお弁当。
なんであんな事してしまったんだろう、なんで一言謝れなかったんだろうって今でも後悔の念が反芻してる。
自炊するたびに、母ちゃんは手間隙かけて作ってくれてたんだなぁって痛感するよ。
本当にごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
お母さん、
虫のいい話ですが、今無性にお母さんのお弁当が食べたいです。
お母さん、会いたいです。
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