成人式の日
公開日:
:
最終更新日:2014/06/14
泣ける話
成人式の日、
それは美容室にとって、
大いに気合いが入る日。
その年の成人式も、夜中の午前2時からお客様を迎え入れ、
リポD飲んで気合いを入れてから、
手を休める事なく仕事をしました。
ようやくその日最後のお客様となり、
成人式ヘアーをつくっていると、
ものすごく視線を感じました。
その先へチラッと目をやると、
その子のお母様が、
じ~っと見ているのです。
娘さんのヘアースタイルの出来をチェックしているのかな~と思い、
「よかったら隣で見て下さい。
もう落ち着いたので、こちらに座っても大丈夫です。
近くの方がよく見えますよ♪」
と言い、娘さんの隣に座ってもらいました。
しばらくすると、今度は鼻をすする音が聞こえてきました。
気を使いながら、その音の方をみると、
今度は涙をポロポロと流しているではありませんか・・・
なんて言葉をかけていいのか分からなかったけど、
「本当におめでとうこざいます。
ここまで育てるのも、大変な御苦労があったことをお察しします」
そして娘さんに、
「○○ちゃん、
これからもお母さんの言うことをちゃんと聞くんだよ!
そしてこれからは○○ちゃんが返す番だからね」
そう言い終わると、
お母さんの嗚咽がお店の中に響きました。
まずい事を言ってしまったかな?と反省しながら成人式のヘアーと着付けが終わり、
その親子はお帰りになりました。
数日後、娘さんが1人でお店にやってきました。
成人式の時のお礼にと、菓子折りをもってきて、話してくれました。
実はお母さま、
5年前に余命宣告されていて、
医者に言われたのが、
もってあと2年・・・
娘さんが15歳の時なので、17歳の頃には旅立っている計算です。
その時お母さんは、口ぐせのように言っていたそうです。
「あんたが成人するまでは生きていたい!
成人式で着物姿が見れたら、他には何もいらない!
それまでは何としてでも生きたい!」
必死の闘病生活だったそうです。
「だから泣いていたんですね。
念願の着物姿が見れて」
すると娘さんが言いました。
「それもそうなんですが、
もう一つ理由がありまして」
「どうしたの?」
「実は私、
口うるさく注意してくる母が嫌いで、
高校卒業後、すぐに就職して引越したんです。
それからはほとんど連絡も取らず、
好き勝手やっていました。
だから本当は成人式も出ないつもりでした」
「じゃあ、何で成人式に出たの?」
「20歳の誕生日のとき、
母から手紙が来たんです。
その手紙には“ありがとう”って書かれていました。
2年間、
病気で大変な母をほったらかし、
ほとんど連絡も取らない私にたいして母は、
“もうそろそろお迎えがくるかもしれないそうです・・・
だから最期に言っておきたくて、
私のもとへ生まれてきてくれてありがとう。
あえなくても私は毎日あなたを思っていて幸せでした
本当にありがとう”
私は自分が情けなくなって、
すぐに電話をしました。
“成人式の準備しといてよね!
それまでに死んじゃダメだよ”
泣きながら話していました」
「お母さん素敵だね。
大切にしなよっ!」
そう言った僕も泣いていました・・・
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